INTERVIEWイネの分子遺伝学で世界の食糧問題に挑む

名古屋大学 農学部 資源生物科学科 教授

芦苅 基行

2021.7.15

植物は多様かつ巧妙な生存戦略を進化させ、地球上の様々な環境で力強く生き延びてきた。そのしなやかな環境適応能力のしくみの裏側には、農業生産性の向上にも役立つ数々の遺伝子群のはたらきがある。芦苅教授のグループは、主要作物のひとつである「イネ」を材料に、多様な品種間の成長様式や環境応答能力の違いに着目して、収量性や草型といった農業上重要な性質に関わる遺伝子群を次々と発見してきた。その成果はイネの品種改良にフィードバックされ、世界の食糧問題の軽減を目指した新しい多収量品種の開発と普及に挑むWISHプロジェクトへと発展した。画期的な遺伝子群の発見を支えたのは、圃場での交配作業から得られた膨大な数の雑種集団である。芦苅教授にフィールドを舞台とした分子遺伝学の魅力とその成果の社会実装へ向けた情熱を聞いた。

独自に開発した多収量イネを使って世界の食糧問題に挑むWISHプロジェクト。

"We Are the World" に共感した高校生

高校1年生の時、あるテレビ番組で世界の食糧問題を知り、食糧がなくて小さな子供達が命を落とす世界があること、そしてその規模がとても大きいことに衝撃を受けました。またちょうどその頃、イギリスやアメリカの著名ミュージシャン達がアフリカの食糧問題に向けたチャリティー活動を行っていて(Do They Know It’s Christmas / Band Aid (UK, 1984), We Are the World / USA For Africa (USA, 1985))、将来自分も何かこの食糧問題解決に貢献したいと思ったのが最初のきっかけです。世界の食糧問題解決に寄与する方法はいくつか考えられますが、その中で、より直接的に食糧問題解決に貢献できそうな農学の道に進みました。

大学院では、イネの茎が短くなる矮性変異体の研究を行っていましたが、ちょうどこの頃、農林水産省の農業生物資源研究所が主体となった「国際イネゲノムプロジェクト」が始まるところで、私は学生ながらこのプロジェクトに参加する機会に恵まれました。大学と国際プロジェクトの両方でイネの分子遺伝学のイロハを学ぶことができたのですが、この過程で、これまでに分からなかった植物の秘密がどんどん分かってくることが楽しくなり、もっと知りたい、そしてその成果を社会実装したいと思い、イネの研究者の道に進むことにしました。

イネの分子遺伝学の道へ

つくばの農業生物資源研究所で博士研究員としてイネの出穂期(穂がでるタイミング)の研究に1年ほど携わった後、名古屋大学の生命農学研究科の松岡信教授の研究室に助教として移ることになりました。松岡研究室ではイネを使って茎伸長を制御する植物ホルモン「ジベレリン(GA)」の研究を開始したところでした。

その頃、世界では植物ホルモンの情報伝達の研究が盛んで、特に双子葉のモデル植物であるシロイヌナズナを使った研究で目覚ましい成果が出ていましたが、松岡研ではイネをつかってGAの情報伝達の解明にチャレンジしていました。ある生命現象を解き明かすために、その生命現象に異常を来した突然変異体を探す手法がよく使われます。イネのGA非感受変異体を選抜し、その原因遺伝子を同定する手法で研究を進めていたのですが、ここで学生時代に学んだイネの分子遺伝学が役に立ちました。研究室で総力をあげて取り組んだ結果、世界中で競争になっていたGA受容体や情報伝達因子を同定することができ、GA情報伝達機構の一端を明らかにすることができました。シロイヌナズナに比べてイネではGA受容体遺伝子の数が少なかったので、解析しやすかったという幸運もありました。

浮きイネの謎

独立して研究室を持つようになってからは、新しくイネの多様性に着目した研究に力を入れています。世界中にはたくさんの種類のイネがあり、様々な環境で栽培されています。日本では灌漑用水を利用した水田でイネが作られますが、世界では雨水を利用した天水田や畑のような環境で栽培されるイネもあります。そのような様々な種類のイネの中に、東南アジアの洪水地帯で利用される「浮きイネ」という特殊なイネの品種があります。

屋根より高く伸びた浮きイネ。最大で6〜7 mも伸長する。

東南アジアの雨季は4-5ヶ月も続くため水位が数メートルにも達することがあり、このような洪水環境では一般的なイネは水没してしまいます。一方、浮きイネは水位の上昇に伴って茎が伸長するので、葉先をいつも水面上に出して呼吸をしながら生存することが可能です。東南アジアの農民は毎年雨季に長期の洪水が発生することを知っているので、雨季の前には浮きイネを作付けするのです。浮きイネは浅水条件の時はわずか70-80 cmですが、洪水になると最大で6-7 mまで大きくなります。環境が変わると劇的に茎伸長する浮きイネの魅力にとりつかれ、このメカニズムの解明に取り組むことにしました。

水位の上昇に対するイネの応答。1日ずつ水位(黄色の破線)を上昇させると、一般的なイネは水没してしまうが(上)、浮きイネは水位の上昇に伴って茎が伸長し、葉先をいつも水面上に出すことができる(下)。

15年を費やしたQTL解析

浮きイネの茎伸長のメカニズムを明らかにするためには、量的形質座解析(QTL解析)と呼ばれる手法を使いました。浮きイネと普通のイネを交配して、得られた多数の雑種の中から浮きイネの性質を示す株を選んでゲノム配列を解析し、浮きイネのゲノム配列のどの部分を受け継ぐと水位の上昇に伴って茎伸長する形質が遺伝するかを詳しく調べていくのです。浮きイネの交配は1年に1回しかできないので解析作業には長い時間がかかったのですが、およそ15年の年月を経てついに浮きイネ特有のしくみを明らかにすることができました。

浮きイネのQTL解析の様子。漁業用の巨大水槽を何基も並べ(左)、浮きイネと普通のイネを交配して得られた雑種を入れて深水処理する(右)。膨大な数の雑種の中から、浮きイネの性質を示す株を選抜して、親株からゲノムのどの領域を受け継いだかを調べていく。

浮きイネは水没するとエチレンと呼ばれるガス状の植物ホルモンを体内に蓄積します。これがきっかけとなって、植物の草丈を伸長させる機能を持つ植物ホルモンのジベレリンを合成するSD1遺伝子が発現し、草丈の急激な伸長を引き起こしていたのです。私たちが現在栽培しているイネは、野生イネと呼ばれるイネの祖先から約8,000年の年月をかけて栽培化(品種改良)されたと考えられています。興味深いことに浮きイネのSD1遺伝子は、南アジアや東南アジアに自生していた一部の野生イネにおいて生じた突然変異を持っており、この変異によってより強く草丈の伸長を引き起こすタイプのジベレリンが合成されていることが分かりました。最近では、茎伸長の開始を制御する「分子スイッチ」も発見することができ、さらに詳しいメカニズムが明らかになりつつあります。

浮きイネの研究で見えてきた茎伸長のメカニズムは、一般的なイネの茎伸長のメカニズムの理解にも役立っています。これまで、普通のイネ品種がどのように茎伸長するかは不明だったのですが、浮きイネで発見された茎伸長の開始を制御する「分子スイッチ」の類似遺伝子が一般的なイネの茎伸長を制御していることが分かってきています。特殊性の理解は普遍性の理解にもつながるのです。

緑の革命にも貢献したSD1遺伝子

「緑の革命」については、高生産性品種の導入による農業革命としてみなさんも学校で習っているかもしれません。実は、SD1遺伝子は「緑の革命遺伝子」のひとつで、この遺伝子に機能欠損変異が入ったイネはジベレリンの含量が低下して絶妙な半矮性になります。そのため、SD1遺伝子変異イネは、化学肥料を与えて徒長しがちな近代農業の条件でも草丈が抑えられて台風などの強風に強くなるために、アジアで広く栽培されました。現在でもアジアで育成される多くのイネ品種がこの機能欠損変異を保持していることからも、この遺伝子の変異が人類にとってどれだけ重要かがわかります。一方、浮きイネはSD1遺伝子の機能を逆に強化させることで、洪水時に急激に草丈を伸ばすことができるようになっていました。人類は、同じ遺伝子の異なる変異を、その地域に適したイネの品種改良に利用していたのです。

有用農業形質遺伝子を求めて

イネ、コムギ、トウモロコシは世界3大作物と呼ばれ、全人類の消費カロリーの約42%を供給する最も重要な植物です。中でもイネは日本を含むアジアの人々の主食であるとともに、近年イネが栽培されるようになったアフリカや南米でも大切な食糧源となってきています。イネといっても世界には10万以上の品種があり、それぞれ違った特徴をもっています。例えば、食味の良いイネ、収量が多いイネ、病気や害虫に強いイネ、乾燥に強いイネなど様々です。こういった農業形質の違いはそれぞれのイネがもつ遺伝子の違いによって生み出されます。すなわち、収量が多いイネは収量を多くする遺伝子を、病気に強いイネは病気に抵抗性を示す遺伝子をゲノム中にもっています。そこで、イネのゲノム中から有用農業形質遺伝子を探し出す研究をしています。

圃場における有用農業形質遺伝子探索のためのイネ栽培の様子。交配で得られた膨大な数の雑種の中から、収量が多いなど目的の形質を示す株を選抜し、親株からゲノムのどの領域を受け継いだかを調べていく。

こうした遺伝子を見つけ出すのにも、QTL解析が威力を発揮します。複数の遺伝子の相乗的な効果も検出できるので、宝探しのような面白さがあります。どの研究も5年以上の年月を要しましたが、これまでにイネの穂の大きさ、種子の数やサイズなどを制御する有用農業形質遺伝子を見つけることができました。

WISHプロジェクトに託した夢

アフリカでは品種改良が進まず、収量が少ないイネ品種が今でも利用されていることがあります。そこで、2010年に「WISHプロジェクト」という植物の基礎研究成果を利用したイネ品種改良プロジェクトを立ち上げました。WISHはだれもが知る「希望」という意味ですが、このWISHには「Wonder rice Initiative for food Security and Health」(すばらしいイネが世界に十分な食糧を供給し健康を導く)という意味が込められています。これまでに、研究仲間と協力して有用農業形質遺伝子を利用したイネ品種作りを行い、複数のイネ系統を作出してきました。現在、これらのイネはアフリカのケニアで品種検定試験が行われており、近い将来「品種」になる可能性が出てきています。

アフリカのイネ品種NERICA1への収量増加遺伝子群の導入。NERICA1(左端)の収量は少ないが、種子の数を増やす遺伝子Gn1aを入れたり(左から2番目と4番目)、穂の枝の数を増やす遺伝子WFPを入れると(左から3番目と5番目)、種子のつき方が変わる。さらにGn1aとWFPの両方の遺伝子を導入すると(右2つ)、収量は大きく増加する。

アフリカの子供たちを笑顔に

まず「知りたいこと」は、植物の茎成長の分子メカニズムです。これまでの研究でそのメカニズムの一端が分かってきましたが、まだまだ不明な点がいっぱいです。今後、どんな遺伝子が、どのように茎の伸長を制御しているのかを分子遺伝学を使って明らかにしたいと思っています。

次に「やりたいこと」ですが、植物の基礎研究成果を利用して食糧問題軽減にチャレンジしていきたいと考えています。そもそもこの道に入ったのも高校生の時に世界の食糧問題を知ったのがきっかけですが、それ以来何らかの形でこの問題に貢献したいとずっと思っていました。現在、研究成果を利用して少しずつ夢の実現が進んでいます。WISHプロジェクトで作出したイネをアフリカ各国で試験を行い、品種化と普及にチャレンジしていきたいですね。植物の研究成果が食糧生産の向上に寄与し、少しでも多くの子供達が笑顔になることが私の願いです。

WISHプロジェクトで育成したイネの新品種は、現在アフリカで試験栽培されている。
この記事について

構成協力/撮影 松林 嘉克

芦苅 基行 プロフィール:
1993年 鹿児島大学農学部卒業。九州大学大学院農学研究科にて博士(農学)の学位を取得。 農業生物資源研究所博士研究員、名古屋大学生物機能開発利用研究センター助教、准教授を経て、2007年より現職。