普段何気なく目にする植物。この植物たちは、私たちと同じように触れらたことを瞬時に感じることができるのだろうか?植物は、虫にかじられた時、どのような仕組みを用いて、傷つけられたことを感じるのだろうか?豊田正嗣教授のグループは、独自に開発したイメージング技術を駆使して、植物の神経系のような高速情報伝達システムを解き明かした。植物は、進化的に動植物共通に保存されているグルタミン酸受容体と、植物特有の組織である師管などを組み合わせることで、傷つけられたことを感じ、その情報を瞬時に全身に伝えているという。植物のシグナル伝達をリアルタイムで可視化できるイメージング技術の開発秘話と、世界を驚かせた植物の全身を駆け巡る高速シグナルの映像が撮られた経緯を聞いた。
最初は物理学を志していた
実は、子供の頃は生き物にあまり興味がありませんでした。単身赴任をしていた父親が買ってきてくれる科学雑誌「ニュートン」を読むのが好きで、宇宙物理学や素粒子物理学に興味がありました。宇宙の神秘や目に見えないミクロの世界に魅了されていたのだと思います。
物理学に興味があったので、大学では理学部・物理学科に進学しました。数式という強力な武器を背景に、様々な現象が理路整然と表現されていく様に感動したのを覚えています。一方で、自分の中で何とも言えない違和感も生まれていました。いつしか数式を解くことに夢中になっていて、小さい頃眺めていた「ニュートン」の中で描写されていたような美しい世界観をイメージできなくなっていました。
そんな時期に、父親から突然、下宿先に荷物が届きました。それはNHKの「驚異の小宇宙 人体III 遺伝子・DNA」のビデオで、届いたその日に6巻すべてを見たのを覚えています。あのビデオが、なぜあのタイミングで送られてきたのかは定かではありませんが、私たちの体内にも宇宙のような神秘的な世界があることに感動しました。特に印象に残ったのが第5集でした。「心や感情は遺伝するのか?」という私にとって衝撃的なテーマを中心に構成されていて、脳や神経の世界をもっと知りたいと思いました。
E = mc2のようにシンプルで研ぎ澄まされた究極の根本原理を探求する物理学と比べて、生物は、数式では簡単に表現できないような複雑かつランダムな仕組みを利用しながらも、システム全体としては秩序を維持しているという美しさがあることを知りました。同時に、この複雑な脳や神経の世界を物理学の美しい理論で理解したいと思ったのが、生物学に興味を持ったきっかけです。
生物学に目覚めて医学部にもぐり込む
高校生の時は生物の勉強をしていなかったし、大学に入学した後も生物の講義は受けていなかったので、生物に関する知識は中学生レベルでした。なので、大学の図書館に通って、参考書を借りてゼロから自分で勉強しつつ、インターネットでこの分野についても調べました。確か、検索キーワードは、「脳」「神経」「物理」だったかと思います。すると、世の中には「生物物理学」という学問領域が存在すること、そして、医学部に曽我部正博先生という、後の私の博士課程の指導教員となる生物物理学者/神経科学者がいらっしゃることを知りました。いても立ってもいられず、曽我部先生にメールを送ってみると、なんと研究室に呼んでいただき、セミナーや実験に参加させていただくことになりました。この時、大学3年の後期で、授業が無い日は毎日のように医学部に通っていたのを覚えています。
生物物理学の道へ
大学入学時は知らなかったのですが、私が所属していた物理学科は、日本の生物物理学の発祥の地のひとつと言われていまして、故・大澤文夫先生が創設された研究室をはじめとする4つの生物物理系の研究室がありました。学部4年の研究室配属では、神経科学や高分子電解質を研究していた細胞情報生物物理研究室(K研)を希望し、修士課程を修了するまで3年間所属しました。物理学科の学生でしたので、実験に使うアンプや電子回路を自作し、電気生理学的手法や蛍光顕微鏡を用いて、シナプス伝達におけるカルシウム(Ca2+)シグナルや可塑性について研究を行いました。ここで学んだことが、後の植物の研究に活かされるとは、この時は思ってもいませんでした。
大学病院で植物を研究
物理学科に所属しながら医学部にも通っていましたが、博士課程から正式に曽我部先生の研究室に所属することになりました。「物理学の力で、脳や記憶、意識を理解してやる!」と息巻いていたのですが、曽我部先生から「豊田くんは物理出身だよね。おもしろい植物のイオンチャネルが見つかったんだけど、それを測定する技術がまだないから、装置を開発して調べてみてくれない?」と言われました。正直、「え、植物?」と思いましたが、予備知識や先入観がないことは、時に素晴らしいことで、物理の人間からすると動物と植物は同じ生き物ですし、むしろ植物には、動物とは異なる未開の小宇宙が存在するはずだと感じ、この分野に飛び込みました。大学病院の中で、植物のイオンチャネルの研究を始めたのが、博士課程1年、24歳の時でした。
当然ですが、医学部には植物を専門とする先生はいませんし、植物用の装置も殆どありませんでした。博士課程から専門分野を変えて学位は取れるのか、と心配になられるかもしれません。もちろん、学部時代から植物を研究されている人と同じことを、素人である私が数年でやろうとすることは不可能です。なので、植物の専門家があまりやらなさそうなことをやろう、と決めていました。元々、「測定法がない」「植物の反応を見る方法もない」ということだったので、ここに活路があると感じていました。自分の唯一の武器は、物理です。物理学の理論や技術を使えば、誰も見たことがない植物の反応を測定できるはずだと思いました。
植物と一緒に無重力空間へ
話は前後しますが、植物から見つかったイオンチャネル(Ca2+などのイオンを通す膜タンパク質)は、重力や接触などの機械刺激を感知するために使われているのではないか、と考えられていました。私の研究課題は、植物が重力(傾き)を感知する瞬間に発生させる微弱なCa2+濃度の変化を検出することでした。K研時代から、装置開発やCa2+イメージングを手がけていたこと、曽我部研には光学系を専門とする先生方がいらっしゃったことから、世界にひとつしかないイメージング装置を作り、植物の重力依存的なCa2+シグナルの可視化に成功しました。
非常に幸運なことに、この技術や成果が評価され、航空機を用いた無重力実験を行えることになりました。この実験の目的は、航空機が自由落下している20秒間だけ作られる無重力環境を利用して、植物のCa2+反応を捉えることでした。余談ですが、この実験では、太平洋沖の航空自衛隊の空域を利用して、上空6,000 mから9,000 mの間で上昇と落下を繰り返します。1時間の実験で、10回以上の無重力実験を行いますが、まさに命がけです。
航空機を用いた大がかりな無重力実験は、実験機会が限られている上に、失敗は許されません。さらに、検出器である超高感度光電子増倍管やモーターなどの駆動系が、無重力環境や電磁波の影響を受けずに、正しく機能するのか、などの不安も抱えていました。想像もつかない実験環境に苦慮していたのですが、多くの方々にアドバイスをいただき、無重力実験用の装置を開発することができました。この改良型実験装置と植物(シロイヌナズナ)と共に航空機に乗り込み、決死の無重力実験を行った結果、植物の純粋な重力依存的なCa2+シグナルをリアルタイムで検出することに成功したのです。
装置開発には、曽我部研のみならず電波望遠鏡を開発していた物理学科時代の先輩にも助けていただきました。また、無重力実験には、パイロットや地上支援グループを含めて多くの方々にご尽力いただきましたし、博士課程時代には国内外の多くの先生にご指導いただきました。医学部という環境で植物の研究を続けられたのは、リベラルでオープンマインドをもった学外の先生方の温かいサポートがあったからです。
学位取得後に渡米
物怖じしない、図々しい性格が功を奏したのか、博士課程時代に多くの国内外の人脈を築くことができました。学位取得後は、このネットワークを利用して奈良先端大の田坂昌生先生の研究室で博士研究員を3年間勤め、その後、アメリカのウィスコンシン大学マディソン校のGilroy研究室に移りました。
今回お話ししませんでしたが、実は、博士課程の時代からベアリングで有名な日本精工(NSK)と一緒に「遠心顕微鏡」を開発していました。あまり聞き慣れない言葉だと思いますが、簡単に言えば、試料に遠心過重力を負荷しながら、対物レンズを使って細胞レベルの反応をリアルタイムで観察する顕微鏡です。この顕微鏡を用いて、遠心過重力環境下の植物細胞のCa2+シグナルを捉えようと考え、可視化できる新しいセンサーとしてGCaMPを検討していました。GCaMPというのは、東北大学(元埼玉大学)の中井淳一先生が開発された融合タンパク質で、Ca2+が結合すると緑色蛍光タンパク質のGFPが明るく光る仕組みをもっています。このバイオセンサーを植物に発現させる準備を始めたあたりで、遠心顕微鏡や超高感度発光測定装置などを持って渡米しました。
触ると光る植物で世界を驚かせた
GCaMPを発現させたシロイヌナズナを作ったのですが、GFPが思ったよりも暗くて落胆していました。ところが、たまたま手をすべらせて植物を栽培している容器を落としてしまって、その後、顕微鏡でGFPを観察してみると、先程よりも植物が明るく光っていたのです。不思議に思い、ピンセットを使って植物に触れてみると、なんと触れたところが、ピカピカと明るく光っていました!植物が触れられたことに反応して、細胞内のCa2+上昇が起こった瞬間を捉えたのです。この瞬間は鳥肌が立ちました。植物の機械的刺激応答を、特殊な超高感度検出器を使わなくても、リアルタイムで可視化できたのです。
GCaMPを発現させたシロイヌナズナに様々な刺激を与えてみました。どれも過去に予言されていた反応を忠実に再現していて興味深かったのですが、植物を傷つけた時が最も衝撃的でした。はさみで葉を1枚だけ切ると、切断部位でCa2+上昇が起こるのですが、このCa2+シグナルがどんどん全身に拡がっていき、たった2分程度で傷つけられていない遠くの葉まで伝播したのです。植物は何かの情報を全身に伝えているのだと感じました。
植物にも傷害を感じて伝えるしくみがある
シロイヌナズナには、私たちの神経細胞(シナプス)にもあるグルタミン酸受容体が20種類存在しています。このうち、2種類のグルタミン酸受容体を欠損した変異体では、傷害を受けてもCa2+シグナルが伝わらないことが分かりました。また、損傷部位では細胞外のグルタミン酸濃度が上昇していることも明らかになりました。こうした研究結果から、植物が傷害を感じ取るしくみの全体像が分かってきたのです。害虫などによって植物が傷つけられると、損傷を受けた細胞や組織からグルタミン酸が細胞の外に漏れ出します。このグルタミン酸が細胞表面のグルタミン酸受容体に結合することで、細胞内にCa2+が流入します。このCa2+シグナルが、養分を通す管である師管を通って全身に伝わると、遠方の葉が将来の害虫からの攻撃に備えて防御の準備を始めるのです。
これまでのCa2+シグナルの研究では、刺激を与えた場所での生体反応を観察していました。顕微鏡やセンサーの感度の問題から、狭い領域の反応しか捉えられなかったのです。しかし、私たちが構築した広視野・高感度Ca2+イメージング技術を用いれば、植物は局所的な刺激を感知して、その情報を遠方の器官に秒オーダーで伝えていることが分かったのです。まるで動物の神経伝達のようで、植物学における情報伝達の概念のパラダイムシフトが起こると感じました。
顕微鏡下の小宇宙
神経科学を研究してきたバックグラウンドがありますので、植物と動物を比較することがよくあります。私たち動物は、贅沢な生き物だと思います。痛み刺激などを感じる末梢神経系、そして高度な情報処理ができる脳をもっています。ありとあらゆる外部の情報を、それに特化したセンサーやシステムを使ってモニターし、高速かつ高度に情報処理しています。
一方で、植物はどうでしょうか?数少ない細胞や組織、器官を流用しながら、時にはグルタミン酸受容体のように私たちと共通のタンパク質を用いて、動物と似たような機能を生み出しています。「植物に脳や神経がある」とまでは言えませんが、別のしくみを用いて、神経系のような高速情報伝達システムを作り出しています。
一見すると、何も感じていなさそうで、鈍感で、退屈に見られがちな植物。しかし、そこには、私たちの想像を超える未知の小宇宙が拡がっています。顕微鏡を通して、次はどんな小宇宙に出会えるでしょうか。
構成協力/撮影 松林 嘉克
豊田 正嗣 プロフィール:
2002年 名古屋大学理学部物理学科卒業。2008年 名古屋大学大学院医学系研究科にて博士(医学)の学位を取得。日本学術振興会特別研究員(奈良先端科学技術大学院大学)、JSTさきがけ研究者(ウィスコンシン大学マディソン校)、名古屋大学高等研究院 S-YLC特任助教、埼玉大学理学部准教授などを経て、2022年より現職。